調子が悪い日に、無理に整えようとするのをやめた話

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調子が悪いと感じた日は、真っ先に「整えなければ」と考えていました。肌のざらつきや髪のまとまりにくさを感じると、その状態を放置することが不安で、何か行動を起こさないと落ち着かなかったのだと思います。美容は、手をかけることで状態を戻すものだという意識が強く、立ち止まるという選択肢はほとんどありませんでした。

特に不調を感じるときほど、情報を探す時間が増えていました。今の状態には何が足りないのか、どうすれば早く整うのか。調べていくうちに、いくつもの方法が目に入り、そのたびに「これも試したほうがいいのでは」と考えるようになります。結果として、やることはどんどん増えていきました。

不調=何かを足すという思考

当時は、不調を感じたら何かを足すのが自然だと思っていました。保湿が足りない気がすれば工程を増やし、まとまりが悪ければケアを重ねる。その判断自体は間違っていなかったかもしれませんが、「足さない」という選択肢がなかったことで、自分の状態を冷静に見る余裕は失われていたように感じます。

調子が悪い日に限って、いつもより丁寧にやろうとする。時間をかけてケアをしている間は、「ちゃんと向き合っている」という安心感もありました。ただ、その安心感は一時的で、思うように整わなかったときには、余計に落ち込んでしまうこともありました。

整えようとする気持ちが先に立っていた

今振り返ると、その頃は自分の状態よりも、「整える行為」そのものに意識が向いていたように思います。不調を感じている理由や、その日の体調、気分の波にはあまり目を向けていませんでした。ただ早く元に戻したい、普段通りにしたいという気持ちが先に立ち、無意識のうちに自分を急かしていたのだと思います。

整えようとすること自体が悪いわけではありません。ただ、その前提に「今の状態は受け入れられない」という気持ちがあったことで、美容が少し苦しいものになっていました。不調な自分をそのまま認めることができず、何かをしなければならない状態だと決めつけていたのかもしれません。

この頃の自分にとって、美容は安心を得るための行動でした。その安心を保つために、整え続ける必要がある。そう思い込んでいたことで、気づかないうちに負担を重ねていたのだと、今では感じています。

整えようとするほど、なぜか気持ちが追い込まれていく感覚がありました。時間をかけてケアをしているのに、終わったあとに残るのは達成感よりも疲労感のほうが大きい。そんな状態が続くにつれて、「ちゃんとやっているはずなのに、なぜ楽にならないのだろう」と疑問を持つようになりました。

不調なときは、心も体も余裕がありません。その状態で普段以上のことをしようとすると、負担が増えるのは自然なことだったのだと思います。それでも当時は、「ここで手を抜いたらもっと悪くなるかもしれない」という不安が先に立ち、休む選択ができませんでした。

ケアの量と気持ちの余裕が反比例していた

今振り返ると、ケアの量が増えるほど、気持ちの余裕は減っていました。工程が増えるたびに「これも忘れないように」「ちゃんとできているか」と考えることが増え、頭の中は常に美容のことでいっぱいになっていました。整えるはずの時間が、逆に自分を縛る時間になっていたのだと思います。

また、頑張った分だけ結果を期待してしまうことも、負担を大きくしていました。これだけやったのだから、すぐに整ってほしい。そう思うほど、変化を感じられなかったときの落胆も大きくなります。結果が出ない=やり方が間違っている、と短絡的に考えてしまい、さらに別の方法を探す。その繰り返しに、少しずつ疲れていきました。

整えようとする気持ちが自分を急かしていた

整えようとする行為の裏側には、「今の状態ではだめだ」という焦りがありました。早く元に戻さなければ、普段通りにならなければ、という気持ちが強く、自分の回復のペースを尊重できていなかったのだと思います。回復には時間がかかることもあるのに、その事実を受け入れる余裕がありませんでした。

不調な状態を否定し続けていると、美容は安心を与えてくれるものではなく、プレッシャーをかける存在になります。整えるためにやっているはずなのに、気持ちはどんどん置き去りになっていく。その違和感が、少しずつ積み重なっていました。

この時期を振り返ると、整えようとするほど苦しくなっていた理由が見えてきます。それは方法の問題というより、自分の状態よりも「早く元に戻すこと」を優先していたことでした。その優先順位が、結果的に自分への負担を増やしていたのだと思います。

整えようとするほど負担になっていることに気づいたあと、すぐに考え方を切り替えられたわけではありません。ただ、これ以上同じことを繰り返すのはしんどい、という感覚が強くなっていました。そこで初めて、「いったん何もしない」という選択を意識的に取ってみることにしました。

それは、美容をやめるという意味ではありませんでした。何かを足すのをやめて、立て直そうとする動きを止める、という感覚に近いものです。調子が悪い日は、無理に整えなくてもいい。そう自分に言い聞かせるだけでも、気持ちは少し軽くなりました。

立て直さないことで見えてきたこと

実際に手を止めてみると、不安が完全になくなるわけではありませんでした。何もしないことで、かえって状態が悪くなるのではないかという心配もありました。それでも、これまでのように追い込むよりは、少し距離を取って様子を見るほうが自分には合っていると感じました。

何かをしなければいけない、という思い込みから離れると、初めて自分の状態を落ち着いて観察できるようになります。今日はどこがつらいのか、どんな気分なのか。そうしたことに目を向ける余裕が生まれました。整えることを目的にしない時間は、自分を知る時間にもなっていきました。

「何もしない」ことへの抵抗が薄れていった

最初は勇気が必要だった「何もしない」という選択も、繰り返すうちに少しずつ自然なものになっていきました。不調な日は不調なままでいい。その考え方に慣れてくると、無理に前向きになろうとする必要もなくなります。

何もしない時間があることで、逆に気持ちが整うこともありました。焦って何かを足していた頃よりも、心が落ち着いている。そんな変化に気づいたとき、立て直そうとしない選択は間違っていなかったのだと思えました。

この経験を通して感じたのは、回復にはそれぞれのペースがあるということです。急がなくても、整えなくても、自然に戻っていく力は備わっている。その力を信じるためには、一度手を止めることも必要でした。

立て直すよりも、いったん手を止める。その選択は、美容との向き合い方を大きく変えるきっかけになりました。無理をしないことで、自分の感覚を取り戻せたように感じています。

調子が悪い日に無理に整えようとするのをやめてから、美容との距離感は少しずつ変わっていきました。以前は、状態が崩れるたびに「どうにかしなければ」と焦り、その気持ちがさらに負担を重ねていました。でも今は、うまくいかない日があること自体を、特別な失敗だとは感じなくなっています。

整えない選択を重ねるうちに気づいたのは、美容は常に前向きである必要はない、ということでした。頑張れる日もあれば、何もしたくない日もある。その揺らぎを否定せずに受け止めるほうが、結果的に長く続いていく感覚があります。

続けるために大切だった視点の変化

これまでは、理想の状態を基準にして、今の自分を評価していました。その視点を手放し、「今日はどう過ごしたいか」を基準に考えるようになってから、選択がずっと楽になりました。ケアをするかどうかも、気分や体調に合わせて決めていい。そう思えるだけで、美容が義務ではなくなります。

調子が悪い日を無理に修正しようとしないことで、逆に調子のいい日を素直に喜べるようにもなりました。常に一定でいなくてもいい、という安心感は、気持ちの余白を広げてくれます。

無理をしない美容が残してくれたもの

無理をしないと決めたことで、劇的な変化が起きたわけではありません。ただ、振り回される感覚は確実に減りました。情報に追われることも、自分を責める時間も少なくなり、静かに向き合う余裕が生まれています。

美容は、自分を整えるためのものでもありますが、同時に日常の一部でもあります。だからこそ、常に正しくあろうとしなくていい。立ち止まったり、距離を取ったりしながら、そのときの自分に合う関わり方を探していけばいいのだと思います。

調子が悪い日に、無理に整えないという選択は、弱さではありません。自分の状態を尊重する、ひとつの向き合い方です。その選択を許せるようになったことで、美容は少し静かで、穏やかな存在になりました。これからも、正解を探すより、今の自分に無理がないかを大切にしながら、付き合っていけたらと思います。

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